
アコースティックギターのヘッドロゴを見たとき、そこに「K.Yairi」の文字を見つけると、私はある種の敬意と緊張感を覚えます。特にそれが1970年代から80年代初頭に作られた個体であればなおさらです。
中学生の頃、どうしてもギターが欲しくて親にねだったことがあります。すると父が「ヤイリなら買ってやる」と言いました。
その一言に、当時のギタリストたちからヤイリギターがどれほど信頼されていたかがよく表れている気がします。
昨今、世界中で「Japan Vintage(ジャパン・ビンテージ)」の再評価が進んでいますが、その中心にいるブランドの一つが、岐阜県可児市に工房を構えるヤイリギター(K.Yairi)です。
当店でも多くのジャパンビンテージを取り扱っていますが、お客様からよく聞かれる質問があります。 「なぜ、この時代のK.Yairiは、こんなにも音が良いのですか?」
今回は、楽器店店主としての視点も交えながら、70年代K.Yairiが放つ「魔法」の正体を紐解いていきましょう。
「木材の黄金時代」という真実
まず、避けて通れないのが「木材」の話です。 ギターの音色の8割は木材で決まると言われますが、1970年代と現代では、使える木材のレベルが決定的に異なります。
現代において、最高級グレードの木材は枯渇し、価格は高騰の一途を辿っています。しかし、70年代はまだ世界中に良質な木材が溢れていました。 当時のK.Yairiのカタログスペックを見ると、驚くべき仕様が並んでいます。現在なら30万円〜50万円クラスのギターに使われるような目の詰まったスプルース、美しくうねる木目のローズウッド、そして今では条約で規制されている「ハカランダ(ブラジリアン・ローズウッド)」までもが、当時は中位機種に使われていたのです。
しかし、単に「良い木を使っている」だけではありません。重要なのは「50年という時間」です。
木材に含まれる樹脂(松脂など)は、長い年月をかけて結晶化し、細胞の空洞化が進みます。これにより、木材は軽くなり、振動効率が劇的に向上します。 70年代のK.Yairiを弾いた瞬間に感じる、あの「爆発するようなレスポンス」と「乾いた抜けの良いサウンド」。これは、どんなに技術が進歩した現代の新品ギターであっても、決して真似できない「時間の芸術」なのです。
「合板」の常識を覆す、矢入一男の哲学

「でも、当時のK.Yairiは合板(Laminate)モデルも多いでしょう?」 そう思われる方もいるかもしれません。確かに、現代の価値観では「オール単板=正義」「合板=安物」という図式があります。しかし、70年代のK.Yairiにおいては、その常識は通用しません。
創業者である矢入一男氏は、日本の気候(高温多湿)を熟知していました。湿度の変化が激しい日本で、長く使える楽器を作るために、あえてサイド・バックに強度の高い「高品質な合板」を採用することも一つの哲学でした。
ヤイリの合板技術は特殊です。単なるベニヤ板のような作りではなく、良質なトーンウッドを丁寧に張り合わせ、単板に迫る振動効率と、単板を凌駕する耐久性を両立させていました。 実際にリペアの現場にいると分かりますが、70年代のK.Yairiは、同時代の他メーカーに比べてネックの狂いやボディの変形が少ない個体が多いのです。
「頑丈でなければ、楽器ではない」 そんな職人たちの気骨が、50年後の今、安定したプレイヤビリティとして証明されています。
欧米への憧れが生んだ「日本独自の音」
70年代、日本のギターメーカーの多くは、アメリカのMartinやGibsonを目標にギターを作っていました。いわゆる「コピーモデル」の時代です。 しかし、K.Yairiの面白いところは、単なるコピーで終わらなかった点にあります。
MartinのD-28やD-45を目指して作られた「YWシリーズ」ですが、そのサウンドは本家とは異なる進化を遂げました。 Martinが「腹に響く重厚な低音」だとすれば、70年代のK.Yairiは「ガラス細工のような繊細さと、鈴鳴りのような高音」を持っています。
これは日本人の感性、そして日本の職人の手仕事の精緻さが生み出した音でしょう。 一音一音が粒立ち良く、煌びやかに鳴り響くそのサウンドは、日本のフォークソングや、繊細なフィンガーピッキングに驚くほどマッチします。 「マーチンの音が欲しかったけど、ヤイリを弾いたら、こっちの音が好きになってしまった」というプレイヤーが後を絶たないのは、この唯一無二のキャラクターがあるからです。
楽器店店主が見る「70年代K.Yairi」の魅力
私は仕事柄、多くのギターの内部を覗き込みます。 70年代のK.Yairiのサウンドホールの中を覗くと、接着剤のはみ出しの少なさや、ブレーシング(力木)の削り込みの丁寧さに息を呑むことがあります。
当時はまだCNCルーター(自動切削機)による大量生産が主流になる前。多くの工程が職人の手作業で行われていました。 一本一本の木材の個性に合わせて、職人がカンナをかけ、ノミを入れる。そんな「体温」が宿っているからこそ、50年経った今でも、誰かの心を震わせる歌を歌えるのだと思います。
最後に
70年代のK.Yairiは、今ではもう生産できない「ロスト・テクノロジー」の塊のような存在です。 状態の良い個体は年々減少し、市場価格も上がり続けています。
しかし、もしあなたが楽器店で、飴色に焼けたトップ板を持つ70年代のK.Yairiに出会ったなら。そして、そのネックを握り、Gコードを一つ鳴らしてみてください。
50年の時を超えて、木材が目覚める瞬間の振動が、左手から全身に伝わるはずです。それは単なる「中古のギター」ではなく、長い旅をしてきた「パートナー」との出会いです。