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ブルーラベル期の歴史とEpiphone Casino

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【販売中】Epiphone Japan Casino Blue Label 1976年製

ブルーラベル期は、1970年から1980年代初頭にかけての期間を指し、Epiphone Casinoの歴史の中で特別な位置を占めています。この時期は、Epiphone製品の製造が日本に移管された直後であり、日本の製造技術が急速に向上した時期と重なります。この時代に生まれた日本製ギターの中でも、特に注目を集めているのがブルーラベル期です。

ブルーラベルの由来

ブルーラベルという名称は、ギターのF字孔内部に貼られたラベルの色に由来します。Epiphone Casinoの歴史において、ラベルの色は製造時期や場所を示す重要な指標となっています。各ラベル期の特徴を詳しく見ていきましょう。

1. オレンジラベル期(1961年-1969年)
製造地:主にアメリカ・カラマズー工場
特徴:
ギブソンと同じ工場で製造され、高品質だが一貫性にばらつきがある
オリジナルのP-90ピックアップを搭載
メイプルボディ、マホガニーネックの組み合わせ
評価:ヴィンテージ価値が非常に高く、コレクターに人気

2. ブルーラベル期(1970年-1980年代初頭)
製造地:日本の松本楽器製作所(マツモク)
特徴:
日本の職人技術により、高品質かつ一貫性のある製品が生産された
5層メイプルボディ、マホガニーネック、高品質なローズウッド指板
日本製の高品質P-90タイプピックアップ、改良されたブリッジとテールピース
評価:日本製ギターの黄金期を象徴する製品として高く評価されている

3. ベージュラベル期(1980年-1987年)
製造地:主に日本(マツモク)、一部韓国
特徴:
トラスロッド・カバーが2点止めになり、USAモデルに近づいた
品質はブルーラベル期と同等
注意点:日本製と韓国製が混在しているため、製造地の確認が重要

4. オレンジラベル期(日本製:1987年-1997年)
製造地:日本(寺田楽器)
特徴:
品質は依然として高いが、マツモク製に比べるとやや劣る
デザインや仕様に若干の変更が加えられた
評価:マツモク製ほどではないが、日本製として一定の評価がある

5. 1990年代後半以降
製造地:韓国、中国など
特徴:
大量生産体制に移行
品質にばらつきが見られるようになった
様々なバリエーションモデルが登場
評価:一部の限定モデルを除き、ヴィンテージ価値は低い。

1970年にEpiphoneが生産拠点を日本に移した際、松本楽器製作所(通称:マツモク)が製造を担当することになりました。この時期に生産されたCasinoには、青いラベルが使用されていたことから、「ブルーラベル」と呼ばれるようになりました。

ブルーラベル期のEpiphone Casino

マツモクの日本人職人たちは、高度な技術と細部へのこだわりを持って製造に取り組みました。その結果、ブルーラベル期のCasinoは、本家ギブソンに匹敵する、あるいはそれ以上の品質を誇るギターとして評価されるようになりました。
使用される木材も厳選されており、ローズウッド指板、メイプルネック、マホガニーボディという組み合わせは、豊かで温かみのあるサウンドを生み出す要因となっています。さらに、ギター製法もギブソンのそれに非常に近く、まさにギブソン・クオリティを体現したモデルと言えるでしょう。

独特のサウンドと演奏性

ブルーラベル期のCasinoは、そのフルアコースティック構造と相まって、非常に豊かな倍音と響きを持っています。クリーンなトーンから軽く歪ませたサウンドまで、幅広い音色を表現できることが特徴です。また、P-90タイプのピックアップを搭載していることも、このギターの個性的な音作りに貢献しています。
演奏性においても、ネックの形状や指板半径など、細部にまでこだわって設計されているため、プレイヤーにとって扱いやすいギターとなっています。

ヴィンテージとしての価値

現在、ブルーラベル期のCasinoは、ヴィンテージギターとしての価値が非常に高まっています。その理由として、以下の点が挙げられます:

  • 製造年代の古さ(1970年代)
  • 限られた生産数
  • 高い製造品質
  • 日本のギター製造黄金期を象徴するモデルであること

これらの要因により、コレクターや愛好家の間で高い人気を誇っています。

現代における評価

ブルーラベル期のCasinoは、単なるヴィンテージギターとしてだけでなく、現役のプレイヤーにも愛用されています。その理由は、優れたサウンドクオリティと演奏性にあります。多くのギタリストが、このギターの持つ温かみのある音色と、豊かな表現力を高く評価しています。
また、日本の楽器製造技術の高さを世界に示した象徴的な存在としても、音楽史上重要な位置を占めています。

まとめ

ブルーラベル期のEpiphone Casinoは、日本の製造技術と職人技が結集した製品であり、オリジナルのアメリカ製モデルの魅力を受け継ぎつつ、さらに洗練された楽器として評価されています。その高い製造品質、優れたサウンド、そして歴史的な価値により、他のラベル期のCasinoとは一線を画す存在となっています。ギタリストやコレクターにとって、ブルーラベル期のCasinoは「日本製ギターの黄金時代」を象徴する重要な楽器として認識されているのです。

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